何故艦船模型を作るのが楽しいのか?


哲学。いやそんな大げさな話じゃないですよ。
長くなりそうなので先に結論を書くと、

「何故そこにそれがあり、その色をしているのか」が分かると面白くなる

ということでした。
そのためには、同じジャンルのものを何回か作ること。とにかく一度は完成させて完成品を眺めてみること。これが肝要ということも気付いた。

                                                          • -

最近はIII突を完成させる方に注力して、初春を中断してたんです。で、先日晴れてIII突が完成したので、初春の作業に戻りました。
そしたら、めっちゃ楽しいんですよ。ただピンバイスでプラスチックに穴を開けてるだけなのに。
III突が楽しくなかったわけでは決してありません。でもやっぱり艦船模型楽しい。何故なのか気になったので、突き詰めて考えてみる。

例えば、III突のこの写真。

戦車の後ろに鋼索のようなものがついてるけど、コレ多分泥濘や塹壕にはまった車両を牽引するためのモノ、だと思う。車両の前後にはそれをかけるっぽい金具があるし、S字の付属物は多分ワイヤーを連結するためのものだろう。
全部推測ですけど、多分そうだ、という当たりは組むまでわかりませんでした。
んで、そうならそうで、本物を想像してディテールアップするなり、塗装で変化をつけることもできる。

飛行機の場合はモールドで彫られてる溝が、鋼板の継ぎ目なのか、フラップの溝なのかで表現が変わってくる。まぁそこまで表現しようとしてないので模型上では変わらないんですが。
この辺も実物を知っていて、「何故そこに溝があるのか」を知ってると、いろいろ妄想したり表現したりする余地が生まれるわけです。

んで艦の話になるんだけど、正直本当に細かいレベルでは構造物を知らない。
飛行機(1/72)や戦車(1/48)と比較すると1/700は一桁違うので、細かいパーツはオミットされているので。
飛行機は昔から好きだったので構造を結構理解した状態で模型作り始めたので別として、艦は正直知らなかった。
以前の記事でも言及したけど、陽炎を作ってる段階では、今回のIII突と同じように「説明書に書いてあるからそう作った」という状況だった。
それが、他の人が作った模型を見たり、艦船に関する本を買ったりして調べて、理解した上で作るようになった。いや、理解するために作って、理解が深まったというべきか。


例えば右の煙突のさらに右、台の右側にあるループアンテナ*1なんて、パーツだけ見てもこれが何だかわからない。だからとりあえず説明書の指示通りくっつけて終わり。
でも、これがアンテナで、実は細い線でできていて、足はあんな形じゃないということがわかれば、自作するなりパーツ交換するなり、俺のようにわかってても技術的限界でそのままつけたり、とにかく頭を使う余地が生まれる。
ループアンテナの前の丸っこいパーツも、あれが探照灯(サーチライト)ということがわかれば、ガラス面は透明の方がカッコイイということでクリアパーツに取替えた。

                                                                        • -

仕事でも勉強でも何でもそうだが、「やれ」と言われたことだけやってても面白くないものである。何故それが必要なのか、何故そうするのか、わからずにやることは、正直言って面白くない。でも、理解して自分からやるようになると、効率も上がるし自分の身にもつく。いいことだらけだ。

模型も同じだ。

説明書のとおりに作るのも楽しいと言えば楽しいが、最初はそうするしかないので、言われたとおりにやる。まぁ模型の場合は趣味やし、「作れ!」と言われて作ることは無いので全く楽しくないわけではないのが救いだ。
でもそれは完成品を手に入れる楽しみのための苦行にもなりかねない。言われた通りにだけ作業しているからだ。

でも、ひとたび何故「それ」が「その色」で「そこ」にあるのか、理解して作ることができたら、全然違った楽しさを見出せるはずだ。
それを知るためには、必ず通らなければならない道がある。わけもわからずでもいいから、一度そのジャンルの模型を完成させること。
そして、作る過程で疑問に思ったことを簡単にでいいので調べてみることだ。
幸い、今はネットで検索すれば大抵のことは調べられるし、解説してくれているサイトも沢山ある。気になったら本屋に行ったり、現代モノなら現物を見に行く手もあるだろう。

あーまた何だかエラソウなことを書いてしまった。後で読んで悶絶するパターンだなこれ。
でもまぁ勢いに任せて書く文章も、また味がある(苦いかもしれないが)ので、良しとします。

*1:てるてる坊主のような小さなパーツだが、頭が丸で一本足の金属線、電波を受信して、自分のいる位置と方位を知るためのもの。ただし当時の技術の限界か、あまり精度は良くなかったようだ。